できるだけ自分の病気のことや経験は話したいと思っている①〜適応障害と診断されるまで(1)〜
はじめに
私は1年半ほど前に適応障害と診断され、それがきっかけで会社を退職しました。
現在はまだ仕事という仕事はせず、こんな感じでブログを書いたりして過ごしています。
今回は適応障害で会社を辞めた話や、それ以前から持っている睡眠障害についてなど、まとまりがないかもですが、ポツポツと話をしていきたいと思います。
なんでこんな話をしていきたいかというと、特にメンタル系の病気とか、珍しい持病や体質について悩んでいても周りに簡単に話せなかったりすると思うのですね。
でも、世の中には色々な人がいて、それぞれ違うことで悩んだり苦しんだりしていると思うのです。
ここ数年で多様性という言葉が出てきたりして、同じ人間でもそれぞれ全く異なる性質を持っているので、お互いに認め合っていきましょう、という話が前よりしやすくなったとは思うのですが、まだまだだなーと思うこともよくあります。
なので、もっともっと身近に感じてもらうために、そして、自分自身が生きやすい社会にするためにも、あまり周りで聞かない話、ちょっと言いづらい話もしていきたいなと思っています。
それが誰かの役に立てたり、生き方とか働き方についての話のきっかけになればとも思います。
適応障害と診断されるまで
ちなみに適応障害とは、、、
適応障害は、ある特定の状況や出来事が、その人にとってとてもつらく耐えがたく感じられ、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。たとえば憂うつな気分や不安感が強くなるため、涙もろくなったり、過剰に心配したり、神経が過敏になったりします。また、無断欠席や無謀な運転、喧嘩、物を壊すなどの行動面の症状がみられることもあります。
ストレスとなる状況や出来事がはっきりしているので、その原因から離れると、症状は次第に改善します。でもストレス因から離れられない、取り除けない状況では、症状が慢性化することもあります。そういった場合は、カウンセリングを通して、ストレスフルな状況に適応する力をつけることも、有効な治療法です。
適応障害|病名から知る|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省
適応障害と診断されても、5年後には40%以上の人がうつ病などの診断名に変更されています。つまり、適応障害は実はその後の重篤な病気の前段階の可能性もあるといえます。
適応障害|病名から知る|こころの病気を知る|メンタルヘルス|厚生労働省
うつ病と適応障害の区別は、実はそれほど明確ではないのだそうだ。うつ病の診断には米国精神医学会によるDSM-IV(精神疾患の診断と分類の手引き)などの診断基準がよく用いられるが、外来では、うつ病と診断されないメンタルヘルスの不調に関しては、適応障害にあてはめられることも多いのだという。ただ、適応障害の場合、少なくとも本人にとって、かなり強いストレス要因があることが前提となっている。またうつ病は心の問題と捉えられがちだが、食欲がない、眠れない、体が動かない――など、実際は体全体の調子が悪くなる病気だ。これに比べると適応障害の方は、一見、割としっかりしているように見えるのだそうだ。
「うつ病」と「適応障害」はどこが違うの? | 日経 xTECH(クロステック)
適応障害は原因から離れれば6ヶ月以内に症状がよくなる、なんて説明をどこかで見つけたりしましたが、私の場合、色々な不調を気にせずに過ごせるようになったのは1年半たった最近のことです。
診断されるよりずっと前から体調不良は多かったので、その頃から適応障害だったのではないかな、と思ったりもします。そのため回復するのにも時間がかかったのかも知れません。
- 憂鬱で明るい気持ちになれず落ち込む
- 気力がなくいつも疲れている
- すぐにイライラする
- 体中がこわばっていてコリがひどい
- 息苦しくてうまく呼吸ができない
- 特に朝がだるくてめまいがすることもある
- とにかく会社に行きたくない
- 欠勤、遅刻が増える
- 電車に乗ると時々気持ち悪くなり貧血のような状態になる(一度、症状が酷すぎて、駅の医務室にお世話になったこともある。)
症状としてはこんな感じだったかと思います。
どの症状もなんというか気のせいなのかな?と思ってしまうような感じってわかりますか?
例えば、「熱が38度あります。」とか、「頭が痛い」とかって症状として人にわかってもらいやすいと思います。
しかし、上に挙げたような症状で実際にすごく辛かったとしても、人に伝えてもあまりピンと来ていない感じがあり、私は馬鹿正直にこの症状を伝えて会社を休んだりしていたので、上司の反応はなんかサボってるのかなーという反応で、こちらのしんどさは全然伝わっていない感じがありました。
また、1日の中でも体調の波があって、午前中はめちゃくちゃしんどかったけど、午後になるとましになるということも度々あったので、周りに深刻さは伝わりづらかったと思います。
そして、自分自身でも怠けたいだけなのかなと思ってしまい、時々会社を休みながらも、無理をして働くという日々を続けていました。
そんなこんなで体調不良をごまかしながら過ごす日々が常態化していたので、当時は、もはや自分が元気なのか、元気じゃないのかがわからない状態にまでなっていました。
そして、欠勤する頻度が高くなっていったある日、流石におかしいと思った上司から、とりあえず産業保健師と面談しましょうという話をされたのでした。
つづく↓
できるだけ自分の病気のことや経験は話したいと思っている②〜適応障害と診断されるまで(2)〜
Photo by Miguel Á. Padriñán from Pexels