相手が適当なときはこちらも適当でいいんじゃない?最終的に全力で投げ合えればよいだろうし
相手が適当なのに、こっちが真剣に挑みすぎて空回りして損を被る形はよくないです。
一見真剣そうなのに中身は適当というパターンをいち早く見破る必要があります。
なぜ適当がいいと思うようになったか
今となっては昔の話ですが仕事のときの話です。
「ちゃんと考えた結果ならこうはならないでしょ!」
って状態で指示や依頼をもらって、それに対してものすごい時間をかけて考え直して返答するということを何年かしてきました。
もちろんこちらの業務の範疇としてやるべきことであればそれで飯を食っているんだしいくらでも時間をかければいいですが、その依頼主がサボった結果、自分の時間が必要以上に浪費しているということが結構多いなあ・・・とあるとき気が付きました。
それも含めてお前の仕事なのだよ、と言われてしまいがちではありますが、それだと「相手のサボりをカバーする係」で一生を終えてしまいます。
それに他の仕事に割くべき時間だって削られるしパフォーマンスも落ちてしまいます。
僕はそれはやだなあと思ったので、相手が適当な場合はこっちも適当で臨むことにしてみたのです。
適当とは、適度な力加減
適当と言うとすごく語弊がありそうですが、適度な力加減という意味です。
仕事である以上、最終的な着地点にはもちろん全力で向かいますが、その過程におけるひとつひとつのタスクに関して、相手方がゆるい球を投げてきているときは全力で投げ返すのではなく、こちらもゆるめに投げてみようと思ったのです。
そうすると案外ゆるいキャッチボールは問題なく続いていくことに気が付きました。
プロフェッショナルな現場においてはすべて相手のペースに合わせてしまうべきかどうかはわかりませんが(スポーツとか)、依頼主主導の仕事であれば、相手が投げたボールを止めずにきちんと投げ返しさえしていればさほど問題は発生しないように思います。
相手方のペースや要求を考慮しつつも大事なのは自分のペースを見失わないこと。見失って自分が破綻してしまうと最終的な着地点に全力で向かうことが出来なくなってしまいます。
結論:最後は全力で
ですので、相手の適当加減により自分が疲弊してしまいそうなときは、華麗にかわして時間の浪費を最小限に抑えて、力を出すべきときに一気に放出出来るようにすることこそ、最終的なゴールまで見据えればベターな選択ではなかろうかと思った次第です。
もちろんはじめからお互い効率的に全力で投げ合えられるとそれがベストなのですが、そうもいかないもので。