効率化を追い求めすぎると、効率的でない「長期的には必要なこと」を排除してしまいがち
これは罠なんですよねえ。
物事を効率的に進めようとすると、まず短期的に見て無駄そうなことを徹底的に排除していきます。
そりゃそうです。無駄なことは排除したほうが効率的でしょう。
でも、それと同時に「楽しい無駄なこと」を排除してしまっている可能性が高いのです。
この「楽しい無駄なこと」が実は長期的に見ると自分のマインドを前向きに形成する肝だったりするので、やみくもに無駄を排除するのはよくないであろう、と思っている次第です。
楽しい未来は妄想したほうがよい
例えば、「楽しい未来を妄想する」という行動は、直近の行動にはあまり関係がありません。
関係がないどころか、効率化を考える観点からみると余計な時間にさえ思えます。
短期的に効率化を遂行しようとすると、これを排除することになってしまいます。
でも、
「楽しい未来を妄想する」という行動にも意味があります。
まず、楽しくなります。
今じゃ考えられなかったり、人には言えない恥ずかしいことだったりしても、妄想なんだから何を考えたっていいんです。
で、この「楽しい未来」に向かって、ちょっとでも近づくように今日も頑張ろう!という気持ちが今日の推進力となるのです。
「楽しい未来を妄想する」ことを忘れた僕
楽しい未来を妄想したほうがよい、と言っておきながら、僕もしばしば忘れてしまいます。
日常に埋没していたり、妙に現実的になってしまっていたり、そんな日々を効率的に片付けていこうとすればするほど、「楽しい未来を妄想する」という無駄なアクションは発動しなくなってしまいます。その繰り返し。無限ループ。
順番が逆なんですね、きっと。
「楽しい未来を妄想する」・・・こいつを先に持ってこないとやらないのです。
自戒の念を込めて書きました。