我慢するぐらいなら「どうでもいい」と思えばいい
我慢というと、何かこう
起こったことを肯定して仕方なく耐える
というイメージかと思います。
これを成し遂げるためにはここを我慢しなければならない!
すげえ嫌なことなんだけど、今は我慢だ!
このマインドは効率が悪いです。目的に向かって遂行している最中のマインドがどうしても後ろ向きになってしまいます。やりたくないことを「我慢」でどうにか一生懸命乗り越えようとしている状態です。
ラーメン屋に並ぶという行為
やりたくないことをやらなければ目的のものを得られないという状況は当然たくさんあります。例えばすごく身近なところで言うと、めっちゃ美味しいラーメンを食べるために物凄い行列に並ぶ、とか。
この「物凄い行列に並ぶ」という部分を、「我慢」というマインドでどうにか頑張って乗り切ろうとする。
でも、「物凄い行列に並ぶ」という行為さえしておけば、本来の目的である「めっちゃ美味しいラーメンを食べる」が得られることは明白なのです。
それなのに、「物凄い行列に並ぶ」という行為自体にもついつい一生懸命になってしまいます。一生懸命になってしまうけど自分が本来やりたいことではないので、どうにか我慢して乗り切ろうとするのです。我慢して一生懸命頑張っているので、行列の進み具合であったりあと何人で食べられるかがすごく気になります。
本来の目的(=めっちゃ美味しいラーメンを食べる)から考えると、この部分(=物凄い行列に並ぶ)ってどうでもいいはずなのに。
そう、いつも我慢してしまっている部分を「どうでもいい」と思いながらこなせるようにすればいいんです。
我慢している時点で、既にその行為自体は本来自分がやりたいことではありません。でも我慢してでもやるということは、何かを得るためにこなさなければならないことである、と自分自身が理解している事柄なのでしょう。やりたくないことをどうにか乗り切るために「我慢」という手段を選択して一生懸命頑張っているのです。
これをやめて「どうてもいい」と思いながらこなせるようになればいい
めっちゃ美味しいラーメンを食べたいということだけ考えながらも、目的達成のためにこなさなければならないだけの「行列に並ぶ」という行為は、我慢して並ぶのではなく、ただただ「どうでもいい」と思いながら遂行するのです。
これは人生や仕事においても同じく当てはまるはずです。
得たいものが何かを常に考え、その手段を明確にし、その手段に該当する行為が自らが好んでやりたくないことであれば、我慢してではなく「どうでもいい」と思いながら遂行出来る状況を作る。
「どうでもいい」と思ってヤケになってどうでもよくこなす、のではありません。どうでもよくなって列を乱すとか列から外れたら当然ラーメンは食べられません。それじゃあただのアホです。
行動自体は我慢して並ぶときと変わりません。というか変わってはいけません。だって手段がそれしかない以上、ただひたすら並ぶしかないんですから。
要は自分の心の持ち方です。
「この並ぶという行為自体はひたすらにどうでもいいことだ」と最初に決めてしまって、めっちゃ美味しいラーメンのことだけを考えているのが健全でありエネルギーのムダもない。
さて、ラーメン食うか。