ポケロペンチオという軍団

日々のあれやこれやをなんやかんや

直感

気分がしっくりこないのでやめるという選択があってもいいのではないか

気分が乗らないのでやらない、という一見ワガママな判断基準を設けることは実はかなり重要だと思うのですが、知らず知らずのうちにそんな判断基準を取り上げられています。

誰に取り上げられているというのでしょうか?

そう、他でもない自分自身です。大人になるにつれて自分自身でそんな判断方法はよくないと思うようになるのです。

気分が乗らないことには必ず理由があるはずです。でもなぜ気分が乗らないか説明出来ないことがほとんどでしょう。

なぜならそれがまさに直感というものだからです。気分が乗る・乗らないという直感でなければ見分けられないレベルで物事の判断は既に出来ているのに、人に説明が出来ないという理由でその選択を却下するようになってしまっているのです。

もちろん社会生活を営む上では論理的に判断しなければならない場面はいくつかあるのかもしれませんが、誰にも迷惑のかからない自分に関することであればもっと気分がどうなのかで選択してしまってもいいと思います。

ひとつ注意しなければならないこと

「気分が乗らない」を「面倒くさいから気分が乗らない」ということにしてはいけません。

面倒くさがりの性格を持ち合わせているのであれば、そっちを先に解消する必要があります。

直感の敵は「めんどくさい」と思ってしまう思考

なぜなら「気分が乗らない」と「面倒くさい」は非常に似ているから。私も元の性分は面倒くさがりです。面倒くさがりの人が気分が乗らないと判断したところでそれはただ面倒くさいと思って避けているだけかもしれず、それは直感としての気分が乗らないに含んでしまってはいけないのです。

だからまずは面倒くさいを排除する。面倒でもやらないといけないことについては気分が乗る乗らないではなく、どちらにせよいずれやらないといけない必要なことなのです。だからそんなことはタスク処理としてとっとと終わらせてしまいます。

例えば「歯を磨く」とかは気分が乗る乗らないという問題ではなく人間として生きる上での習慣としてやったほうがいいことです。面倒なときもあるかもしれませんが、やるほうがいいに決まっているので、やる・やらないという判断のテーブルに乗せる以前にタスク処理としてとっとと終わらせてしまうべきです。

直感を尊重する

で、面倒くさいかどうかという判断基準が自分の中でなくなった上で、何をやるべきか選択するときの判断基準として気分が乗るか乗らないかを材料にします。

これが直感なのだと思います。

何かしっくりこないなあという飲み会であったり、すげえモヤッとするなあという仕事だったり、いろいろあると思いますし全部をいきなりやめるわけにはいかないにしても、そういった自分のなかから湧き出てくる直感は見過ごさずにまずは「やめる」という選択を取る方法を模索してみる方がいいと思います。

それで結果やめることは出来なかったとしたらそれもまた運命で仕方ないのかもしれませんが、この直感を無視していきなりすべてに論理的な判断を適用しようとしてしまうのは自分に嘘をついた芯のない行動を引き起こしてしまうことになりがちです。

あとは、自分の直感に背いた行動ばかりを取っていると直感が鈍ってしまって肝心な時に発動出来なくなってしまうということも危惧されます。

まずは、1回は自分の「直感フィルター」を通した状態で判断してみて、最終的に違う判断をすることになったとしても「直感だとこう思っていたけどなあ」という答え合わせを毎回行ってどんどん強化しておくと、いつか役立つ時がくるはずです。

-直感