効率化を最優先して考えると目先の損得で判断して失敗しがち
時間は限られている。時間はみんなに平等で1日は24時間しかない。どう使うかは自分次第。
当然ながら物理的に時間を増やすことは出来ないので、1つ1つの物事を効率よくこなしていくしかない。
巷には様々なライフハックが溢れており、私も片っ端からそれらを実践しているタチである。
その過程で効率化の落とし穴、つまり弊害を発見した。
短期的な視点で判断しがち
効率化とは、すげえざっくり言うと1つ1つの出来事をスムーズにこなすことを目的としていますよね。
それだけで考えるとどうしても目先の出来事から取り掛かることになるので、短期的にみて効率がよいかどうか、という判断を行うようになりがちだと思うんです。
例えば、、、
とある仕事を遂行する上で重要だとみなされている会議がこのあと行われる。
ただ、効率を考えると重要だとも思えないし目の前の時間がもったいないという理由で適当な理由をつけて欠席をした。
巷のライフハック文献などもこぞって無駄な会議の排除などを掲げているので、欠席出来るような隙があったのならばなおさら間違った判断ではなかったであろう。短期的には。
もちろんそれで結果その仕事自体も問題なく進んだのであればその判断は正しかったとなります。でも毎回そうとは限らない。
あなたがその会議に出席していなかったばかりにスムーズに物事が進まないポイントが数多く発生してしまい、結果余計な時間がかかってしまって長期的にみた際に効率化の逆を行く結果となってしまった、ということだって十分起こり得ることです。
何がいけなかったのか~未来もぼんやり見据えておく
そもそも長期的に効率がよいかどうかを考えることは本来難しいことです。
未来のことは誰にもわからない。
未来のことを予測しながら効率化を図る、ということを目標にしつつも、そこに完璧を求め始めるとそれこそ時間がかかって本末転倒ですし。だからこそ、まずは目の前のことだけに関して効率化を図ろうとする思考は決して間違ってはいない。
上記の会議の例は、目の前に見えている自分の時間だけを効率化すべく判断したのがよくなかったのです。
今日という一日の時間の効率化という観点だけなら正解だが、その仕事は今後も長く続いていくものだった。
その視点からも見ることが出来れば、また違った判断が出来ていた可能性が高いのではないでしょうか。
長期的に考えたら得かもという癖をつける
短期的に判断すると効率の悪いことが発生した場合どうしてもイライラしがちだけど、毎度「長期的に考えたらこれは得かもなあ」と考えられるようになっていれば気持ちにも余裕が出来て健全です。つまり、回り回って短期的視点でみてもパフォーマンスが上がることになります。
例えば、電車で座ってPCを開いて移動中に仕事を片付けたいと思っていたにも関わらず、いつもは空いているはずの電車がなぜか混雑していて満席で座れなかった。
短期的視点で考えると、移動時間30分を作業に充てる予定が破綻してイライラしてしまいがちです。
でも長期的視点だと、もしかしたらその作業に関する仕事自体がなくなってしまったり無意味なものになってしまうかもしれない。だったら窓の外を眺めて目を休めたり、立ったままでも出来るスマホの電子書籍を読む時間に充てたりして有意義に使ったほうが結果的には効率がいい。
今回席に座れなかったのはそういうお告げなのかもなあ・・・と考える癖がつけば目先の効率化で失敗したように思える場合も、
① 長期的にみるとそもそも今回の作業が不要になったため結果効率的だった
② 長期的にみて今回の作業が必要だったとしても、短期的効率化の失敗に伴うイライラの発生を避けたことにより目の前のパフォーマンスがあがったので結果効率的だった
という2択にできるはずです。
これはなかなか難しい事案だと思うので、追ってもっと深く考えていきたいところです。