すべての他人を可愛いモンスターと思って接すると優しくなれる
モンスターといっても怪物ではなく、ポケモンのようなかわいいイメージにしましょう。ベトベターとか。え?ベトベター可愛くないって?何を言ってるんですか、めっちゃかわいいじゃないですか。
話が逸れましたが、要は、何を考えているか・何をしようとしているかまったくわからない、ということで自分以外の人をモンスターと仮定します。
1度しか会ったことのないよく知らない他人やそこら辺を歩いている見ず知らずの人は紛れもないモンスターです。名前も何も知らない、全く何も情報がない他人ですから。
こうした他人には割と丁寧に接しているのではないでしょうか。中には誰に対しても横柄な人もいるでしょうが、普通はよく知らない人と話さないといけない場面では基本敬語だったり、向こうも自分のことをよく知らない、と仮定して丁寧な対応を心掛けるはずです。
なぜなら、その人が面倒な人だった場合に、ややこしいことに巻き込まれないようにするためです。いい具合の距離感を保っていないと巻き込まれてしまいます。面倒な人なのかどうなのかがハッキリするまでは、完全なる他人として距離を保っておくのが得策だとみんな感じているでしょう。
その状態から「コイツはやべえ人ではないな」ということがわかってくると、その距離感もなくなり打ち解けて仲良くなるという構図だと思います。
で、そのタイミングで「その人はモンスターではなくなり自分のことを理解してくれる仲の良い人間として目に映ることになる」のが通常かと思います。
でも、、、
いくら仲が良くてもすべてを理解できるわけではない
「自分のことを理解してくれる仲の良い人間」と思っちゃうから喧嘩したり、喧嘩にまではならずともイライラしちゃったりするのだと思います。優しくなれないときって、「なんでこっちはこう思っているのにわかってくれないのか」「こっちの気持ちを理解しないで、どういう思考でそういう発言をするのか」と思っちゃうタイミングではないでしょうか。
いくら仲が良くったって、極論、自分とは別の人間であるという意味合いで「他人」なので、すべてを分かるわけがありません。
仲が良いのとすべてを理解し合えるというのは別問題です。
だから、どれだけ仲が良くても「可愛いモンスター」として接するのです。モンスターは人間ではないので、人間である自分のことは理解出来ないであろうという前提で接することが出来ます。でも仲の良い友達には違いありません。ここ大事です。仲の良い友達には違いありません。
仲の良い友達であっても自分のことすべては理解出来ないであろうという前提なので、「自分のことを理解してほしい」なんて過度な期待はしませんし、優しい気持ちで接することが出来ると思います。
つまり、仲がいいからといって、過度な期待をし過ぎなのです。驕りです。当然ですが、理解して欲しいのなら自分も相手を理解する必要があります。でもすべて理解するのは無理でしょう?だからイライラしちゃうのです。
まずは優しくなるべきです。相手のことをわからなくたっていいんです。相手のことがわからないので「可愛いモンスター」と仮定するんです。そうするとこの「可愛いモンスター」の特長・良い部分がどんどん見えてきてもっと知りたいと思うようになることが出来るでしょう。
一度仲良くなってしまうとなぜか完全に理解し合えていると錯覚しがちです。僕も時折そうなります。改めて改善していきたいです。優しくなりましょう。